世界を航海する科学探査船
「タラ号」とともに海洋環境の
未来に希望の灯をともす
- パトゥイエ 由美子さん Yumiko Patouillet
- 一般社団法人タラ オセアン ジャパン 事務局長

- パトゥイエ 由美子さん Yumiko Patouillet
- 一般社団法人タラ オセアン ジャパン 事務局長
「自分が最期を迎える瞬間に、やるだけやった!と思いたい」そう考えるとなぜか涙してしまうと語るのは、世界を航海し気候変動や海洋汚染を科学的に調査する科学探査船「タラ号」の日本窓口を担う、一般社団法人タラ オセアン ジャパンのパトゥイエ由美子さんだ。タラ号を通して伝える、「世界の海が今、直面している危機」とは。パトゥイエさんが担う役割と覚悟を取材した。
「自分が最期を迎える瞬間に、やるだけやった!と思いたい」そう考えるとなぜか涙してしまうと語るのは、世界を航海し気候変動や海洋汚染を科学的に調査する科学探査船「タラ号」の日本窓口を担う、一般社団法人タラ オセアン ジャパンのパトゥイエ由美子さんだ。タラ号を通して伝える、「世界の海が今、直面している危機」とは。パトゥイエさんが担う役割と覚悟を取材した。
海の美しさと危機を
世界へ伝える科学探査船
「タラ号」との出会い
科学探査船「タラ号」は、フランスを拠点とする公益財団法人タラ オセアン財団が運営している海洋探査船だ。気候変動の影響を予測し海洋環境問題への理解を深めるために、世界中の海を航行しながら、海洋生物や海洋汚染の調査や北極探査を行い、科学的に海のデータを収集している。
2003年に、フランス・パリ発のアパレルブランド『アニエスベー』の創設者であるアニエス・トゥルブレとその息子、エチエンヌ・ブルゴワが船を買い取って以来、58万km以上を航海し75ヵ国以上に寄港してきたこの船は、フランス国立科学研究センター、NASAなどの国際的なトップレベルの研究機関や組織と共同で13以上の探査プロジェクトを行ってきた。そしてこれらのプロジェクトにより集められた貴重な海洋データを使って、提携した研究機関の科学者だけではなく、世界中の研究者が、国際的な科学雑誌に千本以上の論文を発表している。
2016年の太平洋のサンゴ礁を対象とした大規模プロジェクトを機に、日本でもタラ号を迎える準備が始まり、当時はアニエスベージャパンの社員が運営を兼務する形で、一般社団法人タラ オセアン ジャパンが設立された。2017年と2018年に実際にタラ号が日本に寄港した際には、各地で啓発イベントや、シンポジウムが開催され、NHKが特集を組むなど、注目を集めた。
しかし、タラ号が去ると活動は停滞する。パトゥイエさんとタラ オセアンの出会いが生まれたのは、この頃だった。

科学とアートを融合させ
海洋環境を守っていく。
その役割に強く惹かれた
2019年、フランス大手化粧品会社の日本支社で17年間管理職を務めたパトゥイエさんは、新たな人生の分岐点に立っていた。
前職でのCSR活動の経験を通じて、社会課題や環境問題に貢献することに強く惹かれ、50歳を迎える節目に「人生100年時代、これからは社会課題に取り組む仕事をしたい」と決意し、会社を離れて模索の時間を過ごしていた。そこへ舞い込んだのが「アニエスベーが立ちあげたタラ オセアンで人材を探している」という話だった。
「タラ号の“科学とアートを融合させ、海洋環境を守る”というビジョンは、私が求めていた社会課題に直結する仕事そのものでした。未経験の分野だし最初は迷いましたが、この機会を逃せば後悔すると感じ、心を決めました。」と、パトゥイエさんは当時を振り返る。
「私は科学者でもないし、アーティストでもないし、海は大好きだけれどそれほどよく知らない。初めてのことだらけだろうけど、今までの仕事で培ってきた経験やスキルを総動員すればなんとかなるはず。失敗も学び!とりあえず、やってみよう!」パトゥイエさんは覚悟を決めた。
「タラ号は14名乗りの小さな船なのですが、船員6名、科学者6名に加えて、アーティスト1名とジャーナリスト1名も乗船します。それは、科学が生むデータを、アートや文章表現を通じて人々の心に届けるためです。環境問題のような重たいテーマは、その現実をダイレクトに伝えるだけでは人々の行動変容にまで結びつきません。だからこそ、裏付けとなる科学的データと共に、エモーショナルに伝えていくことも必要になる。自身のアパレルブランドを持ちながら、社会課題の解決やアーティストの発掘にも力を入れるアニエスらしいアプローチに強く共感し、懸けてみたいと思いました。」

日本全国の沿岸地域を
対象に実施された
マイクロプラスチック調査
パトゥイエさんがタラ オセアン ジャパンに加わり、その立ち上げを担ったのが、日本全国を対象にしたマイクロプラスチック調査だった。
プラスチック汚染は、海洋生物へダメージを与え、5ミリ以下のマイクロプラスチックは、食物連鎖を通じて人体への影響も強く懸念される。しかし、これまで、日本沿岸海域におけるマイクロプラスチック汚染については社会的に危惧されつつも、科学的なデータが少なく、その影響や対策について具体策を論じることが難しい背景があった。このまま対策が遅れると、2050年には魚よりもプラスチックの量の方が増えてしまうという試算もある。
「効果的な対策を講じるには、海洋プラスチックの量や分布、発生源の特定、生物への影響評価などの科学的知見が必要です。なので、まずは科学担当の理事と相談し、日本沿岸海域の表層水と海底の堆積物におけるマイクロプラスチック汚染を評価することで、科学者や社会が必要とするデータベースを構築することに。現状を科学的に把握することから始めることが必要なのだと感じました」と、パトゥイエさん。
2020年、タラ オセアン ジャパンは全国の臨海実験施設をつなぐネットワーク「JAMBIO(マリンバイオ共同推進機構)」と連携し、3年かけて北海道から沖縄まで15ヵ所で調査を実施。表層水や堆積物に含まれる5ミリ以下のプラスチックの量を定量的に把握した。パトゥイエさん自身も科学者と共に調査船に乗り込み、船酔いに苦労しながらも、採水やフィルタリングを手伝った。
科学者による解析の結果、全国平均で、海底1キロ平方メートルあたり1トンを超えるマイクロプラスチックの堆積が見られた。また、人口が少ない日本の地方沿岸域でも高濃度が確認され、漁具廃棄の管理不足が汚染に影響していることも明らかになった。
「3年間の調査とその後の研究により、日本の沿岸域が“マイクロプラスチックのホットスポット”であることが示唆されました。この成果は学術論文として発表されましたし、今後は具体的な政策提言や社会へのさらなる発信につなげていきたいと思っています。」


写真下:3年かけた調査の結果、「日本沿岸がマイクロプラスチック汚染のホットスポットであることが示唆され、特に海底への蓄積が進行していること」が明らかになったことを説明してくれたパトゥイエさん
子どもや関心ある人々を
巻き込む仕掛けで
科学成果を社会につなぐ
「調査」と並ぶもう一つの柱が「啓発」活動だ。世界を航海するタラ号には科学者だけでなくアーティストやジャーナリストが乗船するように、タラ オセアン ジャパンが進めるプロジェクトでも、ロジックとエモーショナルの両軸で取り組んでいくことを、とても大事にしている。
タラ号には、2024年3月に、研究者でありメディアアーティストでもある落合陽一さんが乗船している。
「フランスの募集サイトからちゃんと応募してくださって。2週間の乗船期間の中で、インスタライブをしたり、ニュース番組に出たり、写真作品を撮ったりして、いろいろ発信してくださいました。」
「落合さんが乗船してくださったおかげで、それまで、タラ号やタラオセアンジャパンの活動を知らなかった多くの人に海の重要性やタラの活動を知ってもらうことができました。」
タラ オセアン ジャパンが企画する科学調査にもできる限りアーティストが参加していて、2024年に新たに始まった、Tara JAMBIOブルーカーボンプロジェクトに参加したアーティストたちの作品展も今後控えている。
また、パトゥイエさんは、これからの未来を生きる子どもたちを対象とした啓発活動にも力を入れている。その代表格となるのが「タラ号ポスターコンクール」だ。
「小中学生が海の問題を学ぶだけでなく、ポスターを描くというアクションを通じて“自分たちでも変化を起こせる”という体験を得られる場を提供しています」と、パトゥイエさん。
このコンクールは、コロナ渦で全国の学校が急に休校になってしまった時期に始め、今年で6年目を迎え、延べ約1000人の子どもたちが参加している。また、特別賞受賞者と抽選に当たったコンクール参加者を香川県三豊市の粟島で開催する「粟島海洋環境クラブ合宿」に親子で招いて、マイクロプラスチック調査を体験したり、アート作品を制作したり、島の豊かな自然に直接触れたりといった体験学習を提供している。
「ある参加者の母親が『ディズニーランドへ行った時よりも楽しかった!』と息子さんが帰宅後に言っていたと教えてくれたんです。海洋環境教育といっても、楽しめることを大切にしているので、それを聞いてとても嬉しかった」と、企画運営するパトゥイエさんは頬をゆるませる。
さらに、アメリカで製作されたドキュメンタリー映画『マイクロプラスチック・ストーリー』の日本語吹替版制作にも尽力。プロの声優を使わず、全国600名以上の子どもたちからオーディションを行い、「アメリカの子どもたちの熱量をそのまま伝えたい」という監督の挑戦を支えた。声優には選ばれなかった子どもたちにもアンバサダー制度が設けられ、活動を継続できる場がつくられたことで、「映画制作」を超えて環境問題に関心を持つ子どもたちのコミュニティ形成にまで発展している。


写真下:タラ号の20年に渡る航海の記録や、北極圏における地球温暖化の影響を調査したタラ号北極プロジェクトでの実際の調査を元に描かれた漫画本。漫画本の出版では、初めての翻訳にも挑戦した
海の環境や気候変動を
多くの人に「自分ごと」と
捉えてもらえるように
パトゥイエさんが日本の海洋問題に抱く最大の危機感は、海の環境や気候変動の深刻さそのものよりも、「人々がまだそれを自分ごととして捉えていない」ということだ。
確かにここ数年で「マイクロプラスチック」や「地球温暖化」という言葉は多くの人に知られるようになった。しかし、それが自分の生活にどうつながっているのかを考える人は、まだまだ少数だ。例えば、気温40度を超える猛暑やかつてない規模の台風に直面しても、それが人間活動の影響だと認識し、改善の行動につなげるまでに至らない。その意識の断絶が、彼女にとって最も大きな課題だという。
フランスをはじめとするヨーロッパでは日常的に環境の話題が交わされ、メディアも政治や経済と並列に環境を扱うのが当たり前。一方で同じように暑さを感じているのに、日本ではなぜ温暖化と結びつけて考えられないのか。
「たぶん、その背景には、日本が昔から自然災害が多い国なので、地球温暖化が引き起こしているさまざまな気候変動も、人間活動の影響ではなく、自然の摂理だからしょうがないと思ってしまう人が多いのかなと思います。」
その意識の差を埋めるために、パトゥイエさんは、啓発活動では、使い捨てプラスチックの消費そのものを減らすことや、ゴミや資源の無駄使いを減らして、日常生活の中で少しでも二酸化炭素の排出を減らすことも大切であることを伝えている。
「活動の現場では、子どもたちと一緒にビーチクリーンやマイクロプラスチックの採集体験を行います。自分の手でゴミを拾い並べることで、ペットボトルやビニール袋が“他人のもの”ではなく“自分たちが日常で使っているもの”だと気づく。その気づきが家庭に持ち帰られ、消費の仕方を見直す小さな一歩になります。」

美しい海の未来は、
私たち一人ひとりの
選択にかかっている
「私たちは、地球温暖化がティッピングポイントを超えてしまう前に、それを止められる可能性のある最後の世代だと言われています。私たち一人ひとりができることってまだまだ沢山あると思うので、ゲーム感覚で、楽しみながらできることを、小さなことからでもいいので、沢山の人に起こしてほしいと思って、タラ オセアンの活動をしていますし、自分自身でもできることをしています。」
ビーチクリーンでゴミを回収する際のゴミ入れに、最初からビニール袋を使うのではなくザルを使ったり、飲料用のペットボトルやプラスチックストローを使うのを一切やめたり。コロナ禍には以前から気になっていたミミズコンポストを始めて、今でも続けている。最初は、小さな行動でも、続けることで大きなインパクトになるし、続けることで不安を減らし、未来に希望が持てるようになるのだ、と。

「地球や海洋環境がどうなっているか。その答えが出るのは、自分が死ぬ頃ではないかと思います。その時に人生を振り返って、娘や、その頃いるかもしれない孫のために『まあ、自分がやれることはやったかな』と思いたい。」と話すパトゥイエさん。
「時々、気候変動や地球環境のことを考え過ぎて、未来に絶望して鬱っぽくなってしまう人がいて、『気候鬱(うつ)』といわれています。私は、今ある自然に感謝をして、応援してくださる支援者に感謝をし、楽しみながら小さなことでも活動を継続することが、未来に希望を抱ける秘訣かなと考えています。」
「未来に対する希望の一例として紹介しているのですが、地球のオゾン層は1980年代から1990年代前半にかけて大きく破壊されてきましたが、オゾン層を守ろうとする人間の行動の結果、現在は少しずつ回復しているそうです。地球環境に対しての影響は、良い方向にしても悪い方向にしても、すぐには出ません。でも、今できることをやっていくことは、必ず未来へとつながります。」
パトゥイエさんが見ている、海の美しさへの「危機感」と「希望」。それらを科学的裏付けとともに、人々の心に訴えるアートや文章表現と共に世界に発信し続けていくこと。それが、タラ号とパトゥイエさんが担う使命だ。しかし、未来に希望を灯すのは、彼女がいうように、一人ひとりの日々の選択と小さな行動なのかもしれない。
科学探査船「タラ号」は来年の春、8年ぶりに日本にやってくる。
Well-living
Rule実践者たちの
マイルール
- 感謝と楽しむことを忘れない
- アンコンフォートゾーン上等
- 失敗は学び
- 楽しみながら小さなことでも継続する
- 人口の3.5%が動けば世界が変わる
PROFILE
- パトゥイエ 由美子さん Yumiko Patouillet
- 一般社団法人タラ オセアン ジャパン 事務局長
大学3年時にフランスへ国費留学。帰国後はフランス企業の日本支社数社で勤務。フランス大手化粧品会社日本支社で約17年管理部門管理職、フランス中小企業の日本子会社代表を1年勤めた後、退社。社会課題、特に地球温暖化問題の改善に少しでも貢献できる仕事を志して、2019年3月より現職。映画「マイクロプラスチック・ストーリー」日本語吹替版プロデューサー/コミック本「北極で、なにがおきてるの?」翻訳者。2024年からは、地球温暖化の希望ともいわれる、ブルーカーボンの調査と啓発をする新しいプロジェクトを開始。海洋環境の未来に希望の灯をともすべく活動を続けている。二十歳の娘の母でもある。
取材・文/木崎ミドリ 撮影/鮫島亜希子 編集/丸山央里絵
- KEYWORD
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