生物多様性の宝庫である
安全で豊かな森を取り戻すため、
「植えない林業」に挑む
- 三木一弥さん Kazuya Miki
- 森と踊る株式会社 代表取締役
- 三木一弥さん Kazuya Miki
- 森と踊る株式会社 代表取締役
人が手を加えた後に放置され荒れた森を、本来の自然が持つ繊細かつダイナミックな力に寄り添って、生き生きとした森に戻す。「植えない林業」を体現する取り組みを行っているのが、森と踊る株式会社・代表取締役の三木一弥さんだ。産業機器メーカーの社員として各地を飛び回る生活から、木こりに転身して早10年。東京・八王子の森で「林業」ならぬ「森業」に力を注ぐ三木さんを取材した。
人が手を加えた後に放置され荒れた森を、本来の自然が持つ繊細かつダイナミックな力に寄り添って、生き生きとした森に戻す。「植えない林業」を体現する取り組みを行っているのが、森と踊る株式会社・代表取締役の三木一弥さんだ。産業機器メーカーの社員として各地を飛び回る生活から、木こりに転身して早10年。東京・八王子の森で「林業」ならぬ「森業」に力を注ぐ三木さんを取材した。
人間の都合で植え、
50年放置されたスギ山を
反転させる地道な作業
三木さんが実践するのは、「植えない林業」。60年ほど前から日本の国土では木材利用を目的に、戦略的にスギの木が植林されてきた。しかし、その後国内の木材需要の低迷等から、放置される山が増え、適切に管理されない森は土砂災害の原因にもなっている。そんな森の木々を適切に間伐(かんばつ)しつつ、本来の健全な循環のサイクルを取り戻せるように寄り添うのが三木さんの行っている「植えない林業」だ。
三木さんが自ら作った林道を登っていくと、道の左手の森はうっそうと画一的に背の高い木々がひしめく「暗い森」、右手には空から光が注ぎ、まっすぐに立つスギやヒノキの木と周辺に高低さまざまに多様な木々が生えている「明るい森」が広がっていた。
「左は自分が手を入れていない、放置されたままの森。右は自分が木々の様子を見ながら所々間伐し、自然の光や水や風が通るように手を加えた森です」と、三木さん。
「10年前にこの森の管理をはじめた当初は、山全体が昔の人々の手によって植えられたスギやヒノキがぎゅうぎゅうに詰まった森だったんです。人工林として植えられたものが、どう天然林に戻ろうとするのかをずっと観察し、少しずつ間伐を行ったり、道を作ったりしながら、学びを深めていきました。3年ほどして、自分の中でいろいろと腑に落ちてきて、手を入れ始めました。」
人間と自然の営みの
関係性に違和感を覚えて、
エンジニアから木こりに
自らを「木こり」と語る三木さん。転身前は、環境領域で製品・技術によるソリューションを提供するグローバルカンパニーの社員だった。下水処理場や浄水場のエンジニアを経て、組織改革、新規事業立ち上げなど大きなプロジェクトも多数経験してきた三木さんが、転身を決意するきっかけとなったのは、何だったのだろうか。
「発展途上国の下水処理場で水を浄化する仕事をしていた際、その土地の自然の力を使って浄化するという選択肢もあった中、ハイテクな自社装置を導入する方向で提案を進めることになりました。商売としては当たり前の考え方である一方で、自然本来の力と人工的な力との兼ね合いに、自分の中で折り合いがつかなくなってしまって」と、三木さん。
意欲的に取り組んできた仕事に違和感を持ち始めていたちょうどその頃、友人に誘われて森で木を切る体験に参加する機会があった。大木がどーんと、大きな音を立てて倒れ、ついさっきまで大木の立っていたその場所に、ぽっかりと空間が生まれた。その瞬間を目の当たりにし、三木さんの心は大きく揺さぶられた。
「明確なきっかけが何であったかは自分でもよくわかっていません。ただ、大木がゆっくりと倒れていくのを見た時に、『自然の力を生かす方向で、環境事業に関わっていきたい』と強く感じたのを覚えています」と、三木さん。
木を切る体験に参加したその2カ月後、三木さんは会社を辞めた。
紹介で出会った山主さんから
山の一部の管理を
任せてもらえるように
退職後は、ハローワークを通じて参加した就労支援講習で、千葉の森で林業の技術を学んだ。その後、知り合いを経由し出会った山主さんから、山の一部の管理を任せてもらえるようになる。それがここ、八王子の森だった。間伐の作業費や管理費などをもらわない代わりに、間引いた木をくださいとお願いしたところ受け入れられ、森の管理がスタートした。
重機を購入し、手探りで森の中に少しずつ道を作りはじめ、木々の観察を始めた。間伐をしてはその後の木々や周辺植物、土の中や水の流れ、苔の成長を観察した。道を作っていく中で、三木さんは、ひとつのルールを見い出す。
それは、「森に道を作るときには、断面はなだらかにせず、必ず垂直にする」というものだ。
このルールに沿って山に道を作っていくことは、自然の摂理に反せず、むしろ森の循環に、ひと役買うことができるのだと三木さんはいう。
「これが、大地を安定させてくれるんです。90度近くに落ちた断面から、土の中に空気がしっかり入る。木の根が張って、植物も育ちやすくなるし、昆虫や微生物も住みやすくなる。そうすると、土壌構造がしっかりして、土砂崩れなどが起きにくくなるんです。逆にこの断面をコンクリートなどで埋めてしまうと、土の中に空気が通らなくなって、水脈も塞がれてしまいます。大雨などで土圧や水圧がかかると、コンクリートと土砂滑りの力比べになってしまう。場合によってはコンクリートがぶっとんでしまうんです。」
自然と人工の力比べでは、自然の大きな力に勝てるわけがないと、三木さんはいう。手探りをしているうちに見えてきた森羅万象が生み出すルールはほかにもある。
「森で大事なのは、多様性。人工的に植えたスギやヒノキだけでなく、多様な植物や微生物が共に生きる環境こそが、健全な連環を生み出します。
枯れ木も、森では大事な存在です。枯れ木でしか生育しない菌がいて、その、周りに育つ植物や生き物がいる。“枯れ木も山のにぎわい”と言いますが、枯れ木は本来つまらないものではなく、自然の循環の仕組みの中では大きな役割を果たしているんです。」
人間の目には見えない
土の中で多様な生物が
連環している
土の中には、菌根菌という植物と共生する菌類がいて、その糸状の菌が木の根に着生し、土壌の中で木と木をつなぐ巨大なネットワークを形成している。近年、その存在が科学の世界で非常にホットな話題になっている、と三木さんは語る。
「森には老木古木のマザーツリーと呼ばれるような存在の木がありますが、その木にはものすごく多くの種類の菌がつながっているんですね。それが土の中で情報のハブ的な役割を担っているんです。そのネットワークを通じて、ある種類の木の凶作と豊作の年を交互にコントロールし、その木の実をエサにするネズミの量を調整したりする。だから、DNAレベルで土の中をイメージしていかないと、人の手で森をどうこうすることってできないんですよ。」
「木は単独で生きているのではなく、その木にふさわしいパートナーがいるんです。それは、菌だったり、他の植物だったり、動物だったりするのですが。自然界ではそれぞれが、支え合っている。」
他の地域から、人の手で持ってきて植えたスギやヒノキがぎゅうぎゅうに詰まった森は、朝の通勤ラッシュの山手線に50代の黒いスーツを着た男性だけがひしめきあって乗っているようなものだ、と三木さんはいう。多様性もなければ、息もしづらい、異様な光景だ。
「間伐してあげることで、森が呼吸して、循環できるようになります。そうして多様な生物が育つことで、森はようやく自然の循環を取り戻せるようになるんです。」
木を間伐して製材し、
木製品の制作をしながら
イベント運営も
2016年に設立された森と踊る株式会社では現在、森の管理のほか、住宅や店舗に使う木材の提供、森づくりを通じて得た学びを提供するイベントなども行っている。
約10年間の活動を通じて、三木さんの周りにはその活動に共感し、応援してくれる人々が集い始めた。住宅や店舗に使う木材を買ってくれるのは、三木さんの思いに共感した個人の方が多いのだという。
「天然酵母のパン屋さんが、店舗移転の際にうちの森の木材を使用してくれたのですが、パンの発酵って生き物が活躍するから、普通は工場を移転したり移築したりすると、必ずパンの味がいったん落ちるんですって。建物に沁み込んでいるものや空気が全て変わってしまうから。それが、うちの森の木で建てたら、最初からうまく焼けたと言ってくれて。生物多様性のある森の中で生きてきた木が、生き物たちとうまく反応したのかもしれないですね。」
イベントでは近年開催した、「森ボー」という、森の中でボーッとしようというイベントに大きな反響があった。イベントの開催をSNSで発信したところ、若者たちが多く集ったのだという。
「森の中で何もしない時間を過ごそうというだけのものなのですが、人間にとって森は、心身がチューニングされる大事な場所なのだと再確認することができました。」
ほかにも、木製品の家具やカトラリーのオーダーメイド、森林再生のアドバイス、企業向け研修など、「森」を基軸にした商品・サービスを多方面で展開している。また、廃業を余儀なくされた製材所を継続させるため、寄付を募る「切り株主」という制度を設けるなど、森のためになる取り組みをあの手この手で実現している。
「儲けでいうと、全然です。NPOに近いような活動になっていますが、株式会社にこだわったのは、やはり自分が経済活動のど真ん中で働いてきた経験があるからでしょうか。
経済が環境を破壊しているような見え方の構図に嫌気がさして転身しましたが、でも本当は経済が悪いわけではなくて。ひとつひとつのプレイヤーのあり方だろうと思い始め、だったらそれを実証するためにあえて株式会社として、その帽子をかぶって、調和した経済活動を目指してみようと思ったんです」と、三木さん。
世界が皆Aだと言っても
Bだと思ったら言い続ける。
その勇気がCを生む
毎日森に入り、土や木々と向かい合う日々を送る一方で、近くにダムが作られることを知れば、都庁に何度も足を運び、土砂災害との関係性について訴えるなど、日本の山林の現状のあり方に立ち向かう活動も行う三木さん。そのダムは人家にもっとも近い1基だけは、コンクリート仕様になってしまったが、活動の甲斐あって、奥の2基は自然環境に配慮したダムの形に変更され、水や空気が通る仕様にしてもらうことがかなったという。
「これからの仕事は、勇気の仕事だと思います」と、三木さんは語る。
「実際に自分の目で見て、触って。やったことの体験から、世界中がみんなAだと言っても、Bだと思う人はBだって言い続けることが大事だし、自分だけでも臆することなくBだと宣言して生きる。それはものすごく勇気がいりますよね。でも、Bだと言い続けていたら、A側もアップデートしてB寄りのA’になるかもしれないし、新たにCが生まれるかもしれない。」
勇気を出すことこそがその人が生きた証になると、三木さんはいう。
「だからこそ、私は実践者であるということにこだわっています。」
山の中で毎日一人コツコツと肉体労働を続ける一方で、土の中に広がる森羅万象のルールを見出し、森と人の未来のために一肌脱ぐ。それが三木さんの取り組む「森業」だ。そんな「森業」を通じて三木さんが見ているのは、人と自然が分かち合う壮大で美しい、100年先、はたまた数千年先の日本の森の景色だった。
Well-living
Rule実践者たちの
マイルール
- 迷ったときには「それで美しくなるのか」
「気持ちよくなるのか」を考える - 人と自然が分かち合うこと
- 森羅万象のルールに従う
- 巡ることを大切にする
- 多様性を大事にする
PROFILE
- 三木一弥さん Kazuya Miki
- 森と踊る株式会社 代表取締役
兵庫県とインドで育つ。横浜国立大学大学院工学修了後、株式会社クボタに入社。浄水、下水などの水処理のエンジニアを経て、組織改革、新規事業立上げを経験。2013年末、木こりになることを決意し退職。2016年2月に「美しい自然がどこまでも広がっている。そこで人々が笑顔で分かち合っている。モノやコトも分かち合っている。自然と人も分かち合っている」という100年後の未来を実現するために「森と踊る株式会社」を設立。
取材・文/木崎ミドリ 撮影/鮫島亜希子 編集/丸山央里絵
- KEYWORD
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