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ACTIVITIES プロジェクト活動
2023.08.28

「パーパス時代の『越境人材』をはぐくむプロジェクト」スペシャル対談vol.1

越境によるカルチャーショックを受容し、「We」でつながる先へ

多くの企業がパーパスを掲げる時代に、新しい事業や価値を創っていくのはどのような人材なのか。企業はこれからどんな人材を採用し、どう育成をしていけばいいのか──。そのキーワードを「越境人材」と置き、企業の垣根を越えて、今後の私たちの働き方・企業のあり方を考えていく「パーパス時代の『越境人材』をはぐくむプロジェクト」。

本活動から生まれたスペシャル対談企画の記念すべき第一回目。今回は、すでに越境的な活動を実践している「越境人材そのもの」のお二人を迎え、知見を語ってもらいました。住友生命グループでこれまでにない保険商品を開発・展開している中地氏と、電通グループでのコンサルティング業とNPO活動を両立する加形氏の対談をお届けします。

目次

話し手

中地貴裕

住友生命保険相互会社 代理店事業部 上席部長代理

話し手

加形拓也

株式会社電通コンサルティング プリンシパル

今、なぜ、パーパスを言語化するのか?

——まずは、近年、ビジネスの場でよく耳にする「パーパス(社会における存在意義)」について考えていきたいのですが、加形さんはコンサルティング業の中で、企業のパーパスの策定もされていますよね。パーパスという大きなものをどのように捉え、提案されているのですか?

加形拓也氏(以下、加形): そうですね、パーパスを考える上で私が最も大切にしているのは「最初に、一緒に、未来を見る」ことでしょうか。
例えば、住友生命さんのように100年続いている大企業というのは、ポケットの中に思いもよらない素晴らしいものを持っています。ただ、やみくもにポケットの中を探すと、何を出すべきか分からないことも多い。人材や技術や資産などの「どの道具」を「どう使うのか」を言語化したものが、パーパスなんじゃないかなと私は思っています。

中地貴裕氏(以下、中地): なるほど、ものすごく共感できます。
ですが、そうは言っても、企業にいると責任感みたいなものが前面に出て、「絶対にこれを使わなくては(キリッ)」って、ポケットから謎の道具を出す組織や人に出会うこと、ありませんか?

加形: ありますね(笑)。
でも、「その謎の道具は使えません」という答えは悪手な気がしていて。大切なのは、未来の可能性をたくさん一緒に考えること。なので、謎の道具の活躍の場や使い方に知恵を絞ることには意味がある。

中地: 間に何かを挟んだら使えることもありますしね。

加形: 正直なところ、「非常に空論的な、きれいな日本語だけのパーパス」というのは、いろんなところで散見されるな、と感じています。
ですが、パーパスを考える過程で、具体的な自社の商品・サービスを享受する個人の顔を思い浮かべ、その人がどう喜んでくれるかをイメージすると、柔軟な意思決定につながることはありますね。
例えば、我々のチームは毎年「電通未来曼荼羅(※)」という近未来の予想図を作成してディスカッションのツールにしていますが、具体的に描かれた近未来を一緒に見て、「さぁ、我が社はこの社会にどう貢献できるだろう」と考えると、仮説が一気に広がります。

※「電通未来曼荼羅」:国内電通グループが共同で作成している、中長期未来予測ツール。企業活動にインパクトをもたらすことが見込まれる未来トレンドを72の視点でまとめている。2023年版である「電通未来曼荼羅2023」では2030年までに起こるとされるテーマを提示(資料提供:株式会社電通コンサルティング)

——「我が社の道具はこれなんです」と社内からの目線で外部へ発信するのではなく、パーパスは、社会から見たときの企業の存在意義を考えていく過程で生まれるということですね?

加形: 大雑把に言うとそうですね。そしてパーパスについて考えることで、かつて創業者が掲げたミッションやビジョンが、現代においてもやはり素晴らしいものであり、つながっているということは、よくあります。

中地: あの、手前味噌になりますが、弊社は「社会公共の福祉に貢献すること」というパーパスを掲げておりますが、これって創業時代からの「経営の要旨」の第一条なんです。
私、入社当時に暗記したのですが、それから25年ほど経って、改めてパーパスとして定められた時にハッとしました。変わらないからパーパスであり、弊社が100年もの永きに渡って社会の中で仕事をさせていただける存在意義なんだろうなと。

加形: パーパスが現代の言葉で紐解かれ、定義し直されたことで、創業者が掲げた理念が「やっぱり深いし、変わってないし、素晴らしいよね」と、思えるようになったんですね。

中地: 入社当時の原点に帰ったような気持ちです。

——パーパスを言語化しようという動きが目立っていますが、もとからあるものだったということですか?

加形: そうですね。意識する・しないに関わらず、企業は社会の要請に応えないと生き残って来られなかったはずです。
おそらく「パーパス」という言葉が注目される前は、社会の変化や成長の予想が各業界である程度は描けていたので、創業の精神が揺らぐことなく、ビジネスが上手くいっていたのでしょう。ところが、今の時代、業界の垣根が壊れ、社会のあり方さえも流動的になってきたために、多くの企業が「我が社は社会とどう接合すればいいのだろう?」と、もう一度、存在価値を考えて言語化する必要が生じたのではないでしょうか。これにはデジタルの影響が非常に大きいと思っています。

株式会社電通コンサルティング プリンシパル 加形拓也氏
企業の事業デザインのサポートに従事。食品企業の新事業、自動車会社のスマートシティ構想など、クライアントは多岐に渡るが、一貫して戦略構想・計画立案・実行まで伴走する。社外では、人手不足、資金不足に悩むNPO団体の広報・マーケティングを、さまざまな業界のビジネスパーソンがボランティアで支援する「NPOコミュニケーション支援機構」を設立、延べ50以上のNPO団体への支援を行う。電通相撲部主将。右四つ。得意技は下手投げ

「I」から「We」へ。そして、その先にいる「あの人」へ

中地: 「Z世代」のように世代を一括りにするのも正しくないとは思いますが、私が普段接しているチームの若手のメンバーたちは、個人としてもパーパスに重きを置いた働き方をしているように感じています。
プロジェクトのミーティング中なども、彼らは主語に「私=I」はあまり使わない。お客さまでもビジネスパートナーでも「私たち=We」で考える後輩が本当に増えました。

これは持論ですが、「I」で話すと、受け手は「You」になり、命じる人と命じられる人だけの関係になってしまう。その時点で企業のパーパスや理念は無くなっている。だから私も、「私たちの仕事は」と「We」で話すように意識しています。そうすることで共感が生まれて仲間たちも動いてくれる。
「明日の組織のモデルは、オーケストラである」とはドラッカーの名言として広く知られていますが、組織がオーケストラのように共鳴して「パンッ!」て音がするくらい変わる瞬間を、主語の変化に気づいた頃に、実際に体験しました。

加形: それはすごいですね。

——パーパスが同じであれば、企業や組織の枠組みを超えて、どんな相手とも「We」で物事を語り、前へ進むことができる?

中地: そうですね。まさに今、私が手掛けている新しい保険商品も、「We」で語れる相手と出会ったからこそ生まれたものと言えるでしょう。
いわゆる再生医療の治療費をカバーする保険なのですが、再生医療関連事業を手掛けるスタートアップ企業とタッグを組み、グループ会社のリソースも活用して、3社協業という形で開発しました。

——専門分野も組織の規模も異なる人たちが「We」になったのですね?

中地: はい。そして「We」の発想こそ、多様なサービスを生み出す鍵であると実感しています。

加形: 先ほどの話にも重なりますが、どんな未来を作るかを、隣に並んで同じ方向を向いて一緒に考えることで、主語が「We」になるのかもしれませんね。

中地: 仰る通りです。実はそのスタートアップの代表者と話をして、彼らの使命感や大義に共鳴できたことも、企業の枠を超えられた理由だと思います。

具体例として、商品の話を少ししますと、再生医療には2つの課題があると感じました。1つは価格面。もう1つは、よくわからないという点。一般の方にとっては、「メジャーリーガーのニュースで聞いたことがある」程度の遠い存在だったのです。
ですが、中高年層に多く見られる膝の痛み(変形性膝関節症)の症状緩和が期待されている。膝の痛みが原因で動くことや外出が億劫になり、そのまま認知症へつながる例も少なくないと聞きました。健康寿命を縮める要因の一つになっているのです。
実際、私の母も人工関節を入れましたが、もしも、再生医療がもっと身近になり、治療の選択肢が広がれば、健康寿命の延伸につながり、ひいては社会貢献もできる。そう考えたことが、構想の着眼点であり、開発の大きな原動力でした。

そして、この保険で、価格面はある程度のカバーができるようになりました。ですが、よくわからないという点がなかなか埋まらない……。より多くの方に、より身近に感じてもらう方法を考えたとき、私自身が以前、営業職員さんと共に働いていた経験を思い出しました。職員一人一人の顔を思い浮かべて考え直すと、地域のスポーツチームとの連携が有効では?とアイデアが浮かびました。イメージしたのは「うちの町の、あの選手も使っている治療」という世界観。そこで現在はJリーグなどの地域に根ざしたスポーツチームを通して展開しているところです。

「セルソースPFC-FD保険」を通じて「We」になったアスリートやドクターたちと。新たな治療の選択肢を広める活動は、プロスポーツ団体だけでなく、実業団チームやアマチュアクラブ、そして地域の学生スポーツ等へと拡大を続けている(写真提供:住友生命保険相互会社)

加形: なるほど。新しい商品やサービスを考える時に「どんな人が嬉しいか」と想像力を働かせ、広める時にも特定の「あの人」へ届けるイメージを描き、共有したのですね。

中地: さらに、地域での展開を丁寧に進めることで、地域住民から「スミセイさんて、いいよね」なんて言ってもらえたら、全国の営業職員さんが今よりもっと自社に誇りを持てるようになるんじゃないかと。
「あの人」は、お客さま一人一人であり、職員一人一人でもあるんです。

加形: さらっとお話しされましたけど、結構な奇跡ですよね。
保険商品って、新製品の開発はもちろん、展開の方法も、なかなか上手くは進まないと聞きます。
「何千万人規模の市場がありそうだ」ではなく、「母親が困っていた」「支店のあの営業職員が力を入れてくれそうだ」と、具体的に笑顔になる人たちへと想像力を働かせてプロジェクトを推進する。自分ゴトを会社の制度に乗せて実現できるというのも、本当に素晴らしい。

住友生命保険相互会社 代理店事業部 上席部長代理 中地貴裕氏
約10年の本社勤務を経て、自ら希望してリテール営業の現場へ飛び込み、営業職員のマネジメントを経験。その後、現部署で新規事業の構想、開発、戦略企画、実行を担当。2022年、再生医療関連事業のセルソース株式会社、グループ子会社のアイアル少額短期保険株式会社との3社共同開発で、ひとの保険「バイオセラピー費用(運動器)保障条項」(セルソースPFC-FD保険)を発表。健康寿命の延伸・QOL(生活の質)の向上に資するサービスを展開している

越境して「人材」になるために

——「We」で語ること、想像力、自分ゴトにするなど、複数のキーワードが出てきましたが、お二人自身はどんな経歴を歩み、越境的に物事を捉えて動ける人材になったのでしょうか?

加形: 私は学生時代からNPO(非営利組織)・NGO(非政府組織)の活動に興味があり、インターンもしていました。
NPO等で活動する方々は、すでにそこにある社会課題へ止むに止まれず突っ込んでいく、本当の意味のパイオニアです。そこからビジネスモデルを試行錯誤されている。そういった方々の広報やコミュニケーションに課題を感じて、プロボノで解決しようと私自身もNPOの広報支援を行うNPOを立ち上げました。

NPOの方々と一緒にプロジェクトを進めると、今の社会の苦しみやあらゆる社会課題に、よりリアルに直面します。例えば、小児麻痺の方と一緒に働くNPO団体との会議は、筆談で行われます。会議の手段から通常とは異なるのですが、その方々が考えていること、感じていることを伺うと、私が立てていた仮説とは驚くほどのギャップがありました。
また、それとは別に、地方へ移住して自治体のお手伝いをした経験や、会社の部活動から生まれた「ビーチ相撲」を通した地域活性化への取り組みなども通して、いろいろな活動をしていないと社会課題は解けないのかもしれないと感じています。

そして、各企業が今、社会課題を考える時代になり、これまでの活動で得た知識やネットワークが生かされ始めました。双方を「想像できる=あの人の顔が浮かぶ」という意味では、越境ができたのかもしれません。

中地: つまり、越境して、「人材」になるために、求められる要素の一部が想像力やネットワークであると?

加形: そうですね。社会課題については、具体的な想像をできることは強みだと思います。
加えて、民間企業で働く人と、NPOや地域ボランティアの人たちは、考え方が全く異なることにも理解が必要です。根ざす組織や住んでいる場所が変わるだけでも、考え方というか、共通認識というか、もう全て違うんです。「異なる」ことを踏まえてコミュニケーションをしなかったために、全てが食い違ったまま終わるという痛い経験もありました。

今、さまざまな企業と新しい事業を作っている時も、自分の業界のルールから離れたコミュニケーションができているのは、自分がコミュニティを越えることに慣れているからかもしれません。

中地: 馴染んだコミュニティを越える、その過程で受けるカルチャーショックがとても大切ですよね。ショックを受けとめて足掻いてみることも、越境人材に求められる要素だと私も思います。

加形: 価値観や得意領域が違えば違うほど生み出される価値も大きいですし。越境によって、「あぁ、なんか世の中にいいことができそう」って思えた瞬間がNPO活動でもありました。

——ラクに話が通じる世界にいると「越境」にはならず、少しコミュニケーションが難しい場所へ出てみる。そこで新たな組み合わせによって生まれる何かが、予測困難な時代を生き抜くために今、求められているのですね。

中地: ともすれば防衛本能が働いてしまうので、人はショックや違いを跳ね除けたり、論破したりしてしまう。でもそれでは何も生まれません。ショックを受けつつ一旦飲み込み、消化して、アウトプットできるかどうかが、越境して、それから「人材」になれるかどうかのポイントだと思います。

初対面で意気投合した二人は、90分間ノンストップで話し続けた

0か100かではなく、ジリジリと進んで行けばいい

加形: ショックというかストレスを、以前は私も越境先で感じていました。自分の中の「こうあるべきだ」という考えと、どうしてもすり合わなくて。それが、今、デジタルの時代になって、ジリジリジリジリと、あるべき成功にともに進んでいける感じがするようになりました。

何て表現すればいいかな。例えると、「絶対にこの一回で決めなきゃいけない。これに全てをかけるタイミング」というプレッシャーがあると、「あの人が動いてくれない。分かってくれない」とストレスが生じますが、少しずつコミュニケーションの輪を広げていきながら、100%の成功ではなく、徐々にいいところを引き出して進んでいこうよ、と。デジタルマーケティングって、そういう考え方なんです。

中地: アジャイル的な?

加形: そう、アジャイル開発(大きな単位でシステムを区切ることなく、小単位でトライアルアンドエラーをしながら開発した機能の集合体として大きなシステムを形成していく開発手法)の考え方ですね。そう考えると、越境先で思い通りにいかなくても「ま、いいところもあった」と思えて、次につながる。

越境っていうと崖からジャンプする印象だけど、結果として風景が変わっているような、そういうやり方ができる時代になってきたと感じています。

中地: 「0か100か」でなくていいんですよね。まさにその動き方が越境人材の答えかもしれない。

加形: なだらかな考え方を持つ人材が増えるなら、同時に、会社側も「少しずつストレッチしていこう」という進め方を受け入れられる制度づくりに取り組まないと。やるかやらないか、伸るか反るか……そういう考えや決裁方法のままだと、なだらかな越境人材はなかなか受け入れられない。

中地: 忍耐という言葉が適切かわかりませんが、会社や周りの寛容性も大事ですね。パーパス時代に越境人材を育てようと思ったら、企業側には一定の忍耐が求められる。

加形: まさに。時間もかかるし、組織的な制度設計も全て含めてやってみて、初めて越境人材が生まれる確率が上がってくると感じています。

——大企業で働いていても、お二人のような考え方、動き方は実践できるのですね。若手にとってはパーパス時代に活躍するための、経営者にとってはパーパス時代に自社を牽引するための、ヒントになると思います。ありがとうございました。

偶然にもコーディネートがお揃いだった二人。座談会を終えて

文/宮部真理子 撮影/鮫島亜希子 編集/丸山央里絵

KEYWORD
  • #パーパス経営
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